WEEKLY EDITOR’S COLUMN

週刊・編集者コラム|2026/08/10〜08/16

公開日:2026年8月17日カテゴリー:編集ノート

焼き鳥の串から海底ケーブルまで、今週の編集者コラムは、身近な道具や記念日を入口に、文化と産業の長い時間をたどりました。上海の小さな山、コンピューターの未来像、左右の標準、遠州の発明家、為替体制の転換。7本を配信日順に、原文の段落と結びを変えずに再録します。

今週の編集者コラム一覧

日付 配信タイトル 主題
8月10日 焼き鳥は、字面ごと海を渡る 串焼き文化と上海の「烧鸟」
8月11日 上海から考える「山」の境界線 山の定義と都市の地形
8月12日 パンチカードとキーボードのあいだ SFが描いた未来とPCの45年
8月13日 右か左か、それが問題だ 利き手、言葉、標準ユーザー
8月14日 「遠い水系」が育てた発明家たち 遠江から連なる産業史
8月15日 終戦と終焉、円くは収まらない夏 終戦、ニクソン・ショック、円相場
8月16日 海底に眠る一本の線が、世界の「時差」を消した 海底電信からAIネットワークへ

各日の編集者コラム

2026年8月10日

焼き鳥は、字面ごと海を渡る

中国では串焼き料理が幅広く親しまれている。代表格の一つが、新疆ウイグル自治区の「烤羊肉串(カオヤンローチュワン)」だ。羊肉を炭火で焼き、孜然(クミン)や唐辛子をまぶす。その香ばしさだけで食欲をそそられる。2023年には山東省淄博市の「淄博烧烤(ズーボーシャオカオ)」がSNSをきっかけに爆発的な人気を集め、一躍、一都市の観光ブランドへと押し上げた。

そうした中国の「烧烤」と比べると、日本の「焼き鳥」は趣が異なる。もも、むね、皮、レバー、つくね、ねぎま――一羽の鶏を部位ごとに分け、それぞれの食感や脂ののり方を見極めながら、塩やタレ、火加減を微調整し、一本ずつ仕上げていく。いわば、一本の串の上に味を組み立てていく料理だ。

興味深いのは、こうした日本式の焼き鳥が中国で「烧鸟(シャオニャオ)」という新たな料理ジャンルとして受け入れられつつあることだ。鳥貴族も2025年2月、上海市内に中国大陸1号店を開業し、以降1年足らずで市内7店舗にまで拡大している。

焼き鳥の歴史は戦後よりもさらに古く、串に刺した鳥料理は江戸時代の文献にも登場する。戦後は屋台や闇市を通じて、庶民の味としてさらに定着していった。

8月10日は「焼き鳥の日」。かつて日本の屋台から立ち上った煙の先に、いま「烧鸟」の看板が並ぶ上海がある。一本の串は、思いのほか長い距離を旅している。(耕雲)


2026年8月11日

上海から考える「山」の境界線

広大な平野地帯にある上海は、山とは縁遠い都市――そう思いきや、市街地の南西・松江エリアには「雲間九峰」または「松江九峰十二山」と呼ばれる一帯があり、9つ(一説に12)の小さな山が点在する。

もっとも、その標高は日本の登山者が想像する「山」とは少し趣が異なる。松江を代表する天馬山は標高98.2メートル、西佘山は100.8メートル。100メートル前後の丘陵を「峰」と呼ばずにいられないところに、上海という都市の平坦さがうかがえる。

さらに"低さ"が際立つのが、2年前に上海世博文化公園で"山開き"した双子山だ。主峰の高さはわずか48メートル。人工的に造成された、国内初の高さ40メートル超の空洞構造の人工山林だという。日本にも同名の「双子山」が長野県佐久市の最南端にあるが、こちらは標高2223.8メートル。桁がまるごと2つも違う。

さらに驚くのが山東省寿光市にある「静山」だ。地表から突き出た高さはわずか0.6メートル、東西の長さ1.24メートル、南北の幅0.7メートル。これを山と呼ぶのは滑稽の極み――と思いきや、日本にも宮城県仙台市宮城野区に日和山(ひよりやま)という人工のミニ山がある。もともとの標高は6.05メートルだったが、2011年の東日本大震災による地盤沈下と津波の影響で山体の大半が失われ、現在は3メートルだという。

では、山とは何メートル以上を指すのか。英国では、ヒルウォーキングの世界で古くから使われてきた慣行として、「2,000フィート=609.6メートル」を山と丘の境界線とする考え方が広く定着している。英国の地図作成機関オードナンス・サーヴェイ(Ordnance Survey=OS)が作成・提供する測量データをもとに、マンロー(Munro)、ヒューイット(Hewitt)、ナトール(Nuttall)といった山岳リストの多くがこの基準を採用してきた経緯がある。この基準に照らすと、東京の高尾山(599メートル)は"丘"ということになる。

果たして日本も中国も、山の定義はファジーといえそうだ。ただ、山道の上りと下りの境目を「峠」と名付けたのは日本ならではの感覚だろう。英訳はmountain pass。中国語では「山口(shānkǒu)」「垭口/埡口(yākǒu)」に当たる。峰と峰のあいだの鞍部で道が通じている場所――漢字一字を組み合わせるだけで、この概念をピタリと言い当てた日本語の造語力は見事といえるのではないか。

8月11日は「山の日」。世界初の山にまつわる国民の祝日である。山から水や資源を得て、暮らしや文化を育んできた人々の歴史を振り返る日でもある。そこに高さは関係ない。国土の6~7割を山地が占める日本ならではの、山への敬意が垣間見える。(耕雲)

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2026年8月12日

パンチカードとキーボードのあいだ

昔のSF映画やアニメを見返すと、そこに描かれた「未来」と、私たちが実際に迎えた未来との間に、思いがけないズレを覚えることが少なくない。

1968年公開の『2001年宇宙の旅』に登場するHAL 9000は、人間と自然な会話を交わす人工知能として知られる(ちなみにHALという名は、IBMの各文字を一つ前にずらしたものだとも言われる)。しかしその「頭脳」は、専用の広大な空間を占有する巨大なコンピューターとして描かれていた。同作品には、パンチカードを思わせる出力もたびたび登場する。

そういえば日本のテレビアニメ『バビル2世』でも、バベルの塔を統べる超高性能コンピューターの出力に、紙テープが使われていたのを思い出す。コンピューターとは大きな機械であり、紙に穴を開けて情報をやり取りするもの――そんな当時の「現実」の影が、SFの中にも色濃く残っていたのだろう。

そこへ1981年8月12日、IBM PCが登場する。翌1982年には日本でNECのPC-9801が、1984年には初代マッキントッシュが世に出てくる。コンピューターは「部屋」に鎮座する巨大な装置から、「机」の上でユーザーと向き合う身近な道具へと姿を変えていった。

IBM PC発表から、今年でちょうど45年。いま私たちは、生成AIの隆盛を目の当たりにしている。だが振り返って気づくのは、未来を自由に描けるはずのSFでさえ、しばしば未来を「現在の延長」として思い描いてしまうという事実だ。HAL 9000も、バベルの塔のコンピューターも、それぞれの時代が持ちえた技術的想像力の枠を出ることはなかった。

だとすれば、45年後の人々にとって、キーボードを叩きながらAIに指示を出す私たちの姿もまた、パンチカードや紙テープと同じように、どこか懐かしく、時代がかったものに映っているのかもしれない。(耕雲)


2026年8月13日

右か左か、それが問題だ

8月13日は「国際左利きの日」。左利きをめぐる言葉を眺めていると、右と左は単なる方向ではないことに気づく。英語の right は「右」であると同時に「正しい」「権利」を意味する。日本語でも「右に出る者はいない」といえば褒め言葉だが、「左遷」は地位を下げられること。古代中国の左右の序列が、今も言葉の中に残っている。

実際、利き手の割合には国による差もある。世界ではおよそ1割が左利きとされる一方、中国では数%程度、インドも欧米より少ない。教育による矯正の歴史に加え、文化や宗教的な背景も影響しているとされる。対照的に欧米では左利きが比較的多く、米国ではトルーマン以降の大統領13人のうち6人が左利きだったとの資料まである。

そこで思い出すのが『巨人の星』だ。星一徹は、生来右利きだった飛雄馬を「野球では左が有利」と考え、左投げに鍛え上げた。いまの感覚では強制的な利き手の矯正など歓迎できない。それでも、左利きを「直すべき癖」ではなく「武器」として描いた点では、皮肉にも当時の左利き観をひっくり返す役割を果たしたのかもしれない。

現実の野球でも「左」は興味深い。MLBでは左投手の割合が2021年の31.9%から2025年には26.2%へ低下した一方、左打ちの打席は半数近くまで増えている。左なら何でも有利という単純な話ではなく、相手との組み合わせによって価値が変わるわけだ。

ならば左右を自在に切り替えるスイッチヒッターやスイッチピッチャーがもっと増えてもよさそうだが、現実にはそう多くない。両方を同じレベルまで磨くのは、やはり簡単ではないらしい。

最近知った言葉に「クロスドミナンス(交差利き)」がある。動作によって得意な手が違うことをいう。筆者は基本的には右利きだが、パソコンのマウスだけは左手で扱う。右手にマウスフィンガーの症状が出たのを機に、負担を分散しようと始めた習慣だ。設定は右利き用のままなので、左クリックは左手の中指、ホイールは人差し指。少々変則的だが、いまではこちらの方が自然になった。

右か左かを最初から決めてしまう必要はない。道具や仕事に人間を合わせるのではなく、人間に合わせて使い方を変えればいい。左利きの日は、「標準とは誰にとっての標準なのか」を考えてみる日でもありそうだ。(耕雲)


2026年8月14日

「遠い水系」が育てた発明家たち

静岡県西部の旧国名「遠江(とおとうみ)」は、元来「遠淡海(とほつあはうみ)」と呼ばれた。都に近い琵琶湖を擁する地が「近江」となったのに対し、都から遠く浜名湖を擁するこの地は「遠江」。古代の浜名湖は砂州によって遠州灘と隔てられ、淡水に近い湖として認識されていたという。文字どおり「遠い淡海」の国だった。

ところが、この「遠い」土地から、日本の産業史を動かす発明家が次々と現れる。森町出身の鈴木藤三郎は氷砂糖の製法や製糖機械などで159件もの特許を取得し、湖西市生まれの豊田佐吉とともに「発明王」「特許王」と並び称された。佐吉は専売特許条例制定の報に触れて発明を志し、1891年に木製人力織機で特許を得た。長男・喜一郎はその技術を自動車部門へと発展させ、トヨタ自動車の礎を築いた。「世界のトヨタ」の本拠地は愛知県豊田市にあるが、その技術の原点をたどれば遠江の地に行き着く。

浜松周辺から天竜川、太田川、馬込川といった遠州の水系にまで目を向けると、鈴木道雄(スズキ創業者)、本田宗一郎(ホンダ創業者)、河合小市(河合楽器創業者)、「テレビの父」高柳健次郎らの名も浮かぶ。織機、楽器、オートバイ、自動車、テレビ――分野は違えど、既存技術を粘り強く改良し実用品に磨き上げていく姿勢は共通していた。

「遠い海」と名づけられたこの土地は、こうしてやがて世界とつながった。発明とは天才の閃きだけではない。積み重ねた技術を誰かが少し磨き、次の産業へ渡していく――その連鎖こそが、遠州を発明家の土地に育てたのだろう。

余談だが、特許取得数で世界一のギネス世界記録を持つ山﨑舜平氏(2025年に2万件超と自己記録を更新)の出身校は静岡高校。同じ静岡県でも隣の「駿河」の生まれで水系も異なるが、遠江との接点はないものか、ふと気になるところである。

ちなみに、日本で初めて特許が認められたのは1885年8月14日。第1号は堀田瑞松が考案した、漆を主成分とする船底用の防錆塗料とその塗装法だった。8月14日は「専売特許の日」。(耕雲)


2026年8月15日

終戦と終焉、円くは収まらない夏

8月15日は「終戦記念日」だが、実はこの日付、為替の歴史においても重要な転換点だった。終戦から26年後の1971年8月15日(ただし日本時間では16日)、ニクソン大統領がドルと金の交換停止を発表した。同年7月15日に突如、中国訪問計画を発表していたことと合わせて、「ニクソン・ショック」と呼ばれるものである。

その結果、1944年のブレトン・ウッズ体制以来続いた「1オンス=35ドル」の交換性が崩れ、固定相場制は終焉へ向かった。1949年に定められ、日本の戦後復興を支えた「1ドル=360円」の固定レートも、この瞬間から歴史的な役割を終えることとなった。1973年以降、世界は変動相場制に移行し、1985年のプラザ合意(9月22日)では急激な円高が進行、後のバブル経済の遠因ともなった。7月から9月にかけては、政治的な終戦と経済体制の転換に日本は幾度も揺さぶられてきた。とりわけそのうち二つの節目が、同じ8月15日に重なっているのは興味深い符合と言えるだろう。

そして2026年の夏、日米両政府は円買いの協調介入に踏み切った。円買い方向としては1998年以来28年ぶり、約40年ぶりの水準まで進んだ円安・ドル高に歯止めをかける異例の対応とされる。終戦から81年。そして、「円」が360度であることに由来するとも言われる「1ドル=360円」の固定為替レートが定められたドッジ・ラインから77年。なかなか円くは収まらない夏の最中にある。(耕雲)


2026年8月16日

海底に眠る一本の線が、世界の「時差」を消した

1858年8月16日、通信の歴史を塗り替える出来事が起きた。大西洋を横断する初の海底電信ケーブルが完成し、ヴィクトリア女王とアメリカ大統領の間で祝辞が交わされたのである。それまで海を越える知らせは船便が頼りで、ロンドンからニューヨークへ届くまで数週間を要した。海底を這う一本の銅線は、その「待つ時間」をわずか数分にまで縮めてしまった。

もっとも、船出は順調ではなかった。最初のケーブルは通信が不安定で、わずか数週間で沈黙してしまう。それでも人々は挑戦をやめず、改良を重ねた末、1866年に恒久的な大西洋通信網を築き上げた。技術革新とは、完成形で現れるのではなく、失敗を糧に社会インフラへと育っていくものなのだろう。

この歩みは、今日のデジタル社会にも重なる。スマートフォンが世界中の情報へ瞬時に届く背景には、人工衛星以上に、海底を走る光ファイバーという巨大な血管が横たわっている。AI時代を支えるデータセンターや半導体、クラウドサービスもまた、150年以上前の「海の向こうへ声を届けたい」という願いの延長線上にあるといえる。

中国語に「千里传音」という言葉がある。千里離れた声を伝えるという、かつての夢物語は、オンライン会議やAI同時通訳の普及によって、今や日常の一コマとなった。ただし、距離そのものが消えたわけではない。異なる文化や価値観を理解するには、今も人と人との対話が欠かせない。海底ケーブルからAIネットワークまで、技術が縮めてきたのは空間ではなく、理解へ至るための「時間」なのだ。(耕雲)

あとがき

7本を通して見えてくるのは、距離や標準を人が何度も作り直してきた歴史です。串、山、キーボード、利き手、水系、為替、海底線。題材は変わっても、技術と文化の境界に立ち、身近な言葉から大きな流れを見つめる視線が一週間を貫いています。

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