週刊・編集者コラム|2026/09/14〜09/20
リード
記念日、道具、画面、交通、食、名前、制度。今週の七つの編集者コラムは、日常の中にすでに定着した「当たり前」が、どの時代に、どんな目的で形づくられたのかをたどります。各日の末尾コラムを原文の段落と順序のまま再録し、週末に読み返せる一週間の記録にまとめました。
今週の編集者コラム一覧
| 日付 | 配信タイトル | 編集者コラムの主題 |
|---|---|---|
| 9/14 | 「長城」を越えた情報、「海峡」を越えられぬ油 | 情報と物資の越境、エネルギー輸送路の脆弱性 |
| 9/15 | 缶切りが消えても、箸は消えない——「道具」を見えなくする便利さの進化 | 道具を製品の内側へ取り込む便利さの進化 |
| 9/16 | 16:9は本当に「正しい長方形」なのか | 画面・本・手のひらが決める時代ごとの標準 |
| 9/17 | 都市を編む『軌道交通』という物差し | 路線延長ではなく都市圏をつなぐ力で交通を見る |
| 9/18 | 即席食品に見るイノベーション | 足し算と引き算で食べ方そのものを発明する |
| 9/19 | 苗字と顔文字、「名乗り方」を考える | 名前と記号という最小の自己紹介 |
| 9/20 | 「空の日」——看板は変わる、構造は居座る | 名称変更の背後に残り続ける制度の構造 |
各日の編集者コラム
2026年9月14日
「長城」を越えた情報、「海峡」を越えられぬ油
9月14日は、OPEC(石油輸出国機構)が1960年に創設された日である。イラン、イラク、クウェート、サウジアラビア、ベネズエラの5カ国がバグダッドに集まり、原油価格の主導権を国際石油資本から産油国の手に取り戻そうとした。その日から、実に66年が経つ。石油はいまも、地政学という舞台の主役の座を譲っていない。
9月10日から11日にかけて、サウジアラビアの「東西パイプライン」が複数のドローン攻撃を受け、操業を停止した。サウジアラビア外務省の発表によれば、無人機はイラクから飛来し、リヤド州とマディーナ州を通る同パイプラインを狙った。負傷者と設備の損傷が確認され、エネルギー省は予防措置として稼働を止めたという。
このパイプラインは、ペルシャ湾岸のアブカイクから紅海沿岸のヤンブーへ原油を送り、ホルムズ海峡を経由せずにタンカーへ積み出すための生命線である。イランとの戦争によってホルムズ海峡の通行が事実上制約されて以降、サウジアラビアはこの迂回路への依存を急速に強めてきた経緯がある。
輸出そのものが完全に止まったわけではない。だが、石油は必ずどこかの海峡を抜け、どこかの港を経由し、どこかのパイプラインを通らなければならない。「本命」の海峡が塞がれたときの「保険」までが標的にされたという事実は重い。たった一つの海峡、一つの港、一つの輸送路が、世界経済全体の急所になり得ることが改めて示された。
中東への原油依存度が際立って高い日本にとって、これは対岸の火事ではないはずだ。実際、欧米の張り詰めた空気に比べて、日本国内の危機感は一段低いのではないかと懸念する専門家の声もある。
同じ9月14日を巡っては、もう一つの、対照的な物語がある。39年前の中国だ。1987年のこの日、北京の中国兵器工業計算機応用技術研究所から、西ドイツのカールスルーエ大学に向けて電子メールの送信試験が行われた。件名は「Across the Great Wall we can reach every corner in the world(万里の長城を越えて、世界の隅々に到達できる)」だった。
このメールがカールスルーエに届いたのは数日後だったとも伝えられている。この出来事を記念し、9月14日は2009年、中国インターネット協会によって中国のネットユーザー記念日「中国网民节」に定められた。
情報は、物理的な壁をものともせず国境を越える。複製された情報は、瞬時に世界中を駆け巡る。だが原油は、有限の物理的な経路を一滴ずつ流れるほかない。万里の長城という「壁」は、電子の一文で軽々と越えられた。しかしホルムズ海峡という「関所」は、いまだドローン一機で封じられてしまうほど脆い。
長城は越えられた。海峡は、いまだ越えられない。
「万里の長城を越えて、世界の隅々に到達できる」――このフレーズを「ホルムズ海峡を越えて」と置き換えて誇れる日が訪れるのは、いつのことだろうか。それはテクノロジーだけで解決できる問題ではない。政治と外交の進展に頼るほか、なさそうである。(耕雲)
2026年9月15日
缶切りが消えても、箸は消えない——「道具」を見えなくする便利さの進化
缶切りが消えても、箸は消えない――「道具」を見えなくする便利さの進化
1984年公開の映画『フィラデルフィア・エクスペリメント』に、印象的な場面がある。
1943年の米海軍水兵が時空を超え、突然、1984年の世界へ放り出される。そこで彼が目にするのは、クラッチのないオートマチック車や、アルミ缶入りのコカ・コーラだ。第二次世界大戦中、コカ・コーラといえば瓶入りが当たり前だった。金属の缶に詰められたコーラは、彼にとってまさに「未来の飲み物」に見えたことだろう。
1958年9月15日、日本で初めての缶ビール「アサヒゴールド」が発売された。350ミリリットルのスチール缶である。瓶が主流だった時代、割れにくく、持ち運びやすく、冷やしやすい缶は、それ自体が新しい生活様式を象徴する容器だった。
ただし、当時の缶は、現在のように軽快な「プシュッ」という音とともに開くものではなかった。「便利な容器」を開けるには、缶切りが必要だったのである。
1960年代生まれの筆者にとっても、子どものころに購入した缶入りジュースの記憶は印象深い。缶には、穴を開けるための小さな道具が付いていた。一つは飲み物を注ぐため、もう一つは空気を取り込むための穴である。二つの穴を開けて、ようやく中身を飲むことができた。
やがて、缶切りを使わずに開けられるプルトップが登場した。さらに現在のように、タブが缶本体から離れないステイオンタブへと進化していく。かつて缶に二つの穴を開けていた小さな道具は、いつの間にか私たちの暮らしから姿を消した。
ここで話は飛躍するが、中国のカップ麺に入っている小さな折り畳み式フォークを思い出す。この習慣は1990年代にはすでに定着していたが、日本では普及していない。日本のカップ麺に添えるフォークや箸は、店頭で別途渡されるものだからだ。
缶入り飲料は、「どうやって開けるか」という問題を容器そのものによって解決した。一方、カップ麺は、容器に湯を注ぐだけで食べられるところまで進化しても、「どうやって食べるか」という問題を残している。箸やフォークなしに麺を口へ運ぶのは、さすがに難しい。
技術の進歩とは、道具をなくす歴史というより、道具を見えなくしていく歴史と言えるのかもしれない。缶切りはタブに姿を変え、時計や地図はスマートフォンの中へ取り込まれた。しかし、カップ麺を食べるための箸やフォークは、まだ消えていない。「フォークを製品に同梱する」という方法を超え、食べる行為そのものから道具を不要にするイノベーションは、果たして可能なのだろうか。
二つの穴を開けていた缶から、指一本で開く缶へ。そして、容器の中に収められた小さなフォークへ。「便利さ」の進化は、まだ終わっていない。(耕雲)
本日の編集テーマ
「便利になる」とは、何かが増えることではなく、何かを意識しなくて済むようになること。
2026年9月16日
16:9は本当に「正しい長方形」なのか
9月16日は「ハイビジョンの日」である。ハイビジョンの画面比率16:9を逆さに読んで「9月16日」に当てはめた、いささか強引な語呂合わせだ。
いま16:9と聞いても、格別な数字には思えない。テレビもパソコンのモニターも、YouTubeの標準的な動画も、この横長の長方形にすっかり馴染んでいるからだ。
ところが、YouTubeで昭和のドラマや古いCMを見ると、画面の左右に黒い帯が現れる。かつてのブラウン管テレビが4:3だった名残である。逆に、いまスマートフォンでショート動画を開けば、画面いっぱいに広がるのは9:16の縦長映像だ。
4:3から16:9へ、そして16:9を90度倒した9:16へ。「標準」と呼ばれる長方形は、思っているほど盤石ではないらしい。
そもそも16:9は、人間にとって最も美しく、見やすい比率として発見されたものではない。テレビの4:3と、1.85:1や2.35:1へと横に伸びていった映画のスクリーンを、なるべく無理なく一枚のディスプレイに収めるために編み出された、いわば中間点である。異なる映像規格を橋渡しするための妥協案だった。
その妥協案がHDTV、デジタル放送、DVD、動画配信、4Kへと受け継がれ、いつの間にか世界標準の座に収まった。
ただし、忘れてならないのは、16:9が生まれた時代、人は基本的に画面を横向きに眺めていたという事実である。テレビは部屋に置かれ、人はそこから少し離れて座る。映画館でもスクリーンは正面に構える。横方向に視界の広がる画面には、それなりの合理性があった。
スマートフォンは事情がまるで違う。手に持つ。しかも多くの場合、縦に持つ。
TikTok、YouTube Shorts、Instagram Reelsが9:16を標準に据えたのは、映像表現の好みだけが理由ではない。スマートフォンという道具そのものが、縦に握られるようにできているからだ。2026年9月現在、テレビやパソコン、通常の動画配信ではなお16:9が主流だが、短尺動画の領域では9:16がすでに一大勢力を築いている。中国発の「微短劇」と呼ばれる縦型ショートドラマの隆盛を見ても、縦長画面はもはや一時的な変わり種ではない。人が画面を見る姿勢そのものが変われば、映像の形も変わるのである。
では、活字はどうか。縦長動画の流行を、縦書きの復権と結びつけるのは早計だろう。日本語の出版物では、新聞や文芸書の多くが今も縦書きだからだ。ここで考えたいのは書字方向ではなく、ページや画面という「枠」の形である。
日本の文庫本はおよそ1:1.41、四六判は約1:1.48、新書判は約1:1.63で、黄金比に近いのは新書判だ。とはいえ、黄金比を意識して設計されたというより、携帯性や印刷・製本の条件が重なった結果とみるほうが自然だろう。
判型の多様さは日本に限った話ではない。中国の書店を歩くと、「16开」「32开」「大32开」「64开」といった規格が使われているが、同じ名称でも原紙や裁断、出版社によって実寸には幅がある。書店の棚を眺めるだけで、本にそもそも「唯一正しい長方形」など存在しないことがわかる。
ここで思い出す端末がある。2013年に登場したソニーのXperia Z Ultraだ。6.44インチという当時としては規格外の大きさだったが、私にはこのサイズが妙に手になじんだ。本体は約92ミリ×179ミリで、一般的な新書判に近い。ディスプレイ自体は16:9である。
一方、その後使った7インチ級のASUSのファブレットは、片手で構えるには少し大きすぎた。わずかな差だが、ここに画面設計の本質が潜んでいるように思う。黄金比よりも「手のひら比」とでも呼ぶべきものが、最適な大きさを決めているのではないか。
紙の本にはもう一つ、スマートフォンにはない性質がある。一枚の長方形として読むのではなく、開けば見開きになることだ。雑誌や写真集、図鑑では、見開きそのものが表現の舞台になる。そう考えると、折りたたみ式のフォルダブルスマートフォンは興味深い。閉じれば片手に収まり、開けば本の見開きに近づく。読むための端末として、スマートフォンとタブレットの間を埋める存在と言えるだろう。
映像も同じだ。テレビには16:9が向き、映画にはさらに横長が似合う。ショート動画には9:16が便利で、読書には縦長の本や見開きが適している。何を見るのか、どこで見るのか、机に置くのか片手で握るのか——コンテンツ、デバイス、身体、この三者の関係から、その時代なりの「ちょうどよい長方形」が生まれてくる。16:9から9:16への反転は、その中でもとりわけ象徴的な例だろう。
そう思うと、9月16日という日付には妙な面白みがある。「ハイビジョンの日」は横長の16:9を記念して定められたが、この記念日を決めた人々が、数十年後にTikTokやShortsが9:16の縦長画面に覆い尽くされる未来まで見通していたはずはない。だが「9月16日」を数字だけで「9:16」と書けば、それはまさに今、私たちがスマートフォンを縦に持ったときの画面比率そのものだ。
16:9は完成形ではなく、ある時代の最適解にすぎなかった。画面を持つ手が変わり、見る姿勢が変わり、コンテンツが変われば、最適な長方形もまた変わっていく。次の「標準」を決めるのは、技術者や規格団体だけではない。案外、私たちの手のひらなのかもしれない。
2026年9月17日
都市を編む『軌道交通』という物差し
9月17日は「東京モノレール開通の日」である。1964年のこの日、浜松町―羽田間で営業運転が始まり、東京オリンピック開幕を目前に控えた都心と空港を、わずか15分で結んだ。半世紀余りを経た今振り返っても、当時の東京が示した都市交通の先進性には目を見張るものがある。
このモノレールから連想が飛ぶのは、中国語の「軌道交通」という言葉だ。中国では地下鉄はもちろん、ライトレール、モノレール、路面電車、さらには磁気浮上式鉄道までもが「城市軌道交通」という大きな傘の下に収まる。地下を走るかどうかは関係ない。都市を動かす仕組みそのものを指す言葉なのである。
上海に暮らしていると、「上海地下鉄3号線」という日本語表現にどうも据わりの悪さを覚える。3号線の実態は高架・地上区間が大半を占め、現地ではそのまま「軌道交通3号線」と呼ばれる。「地下鉄」という訳語では、その姿を十分に言い表せていない。
では、上海の軌道交通は世界一なのか。中国都市軌道交通協会の統計によれば、2025年末時点で総延長は約1042キロに達している。とはいえ、単純な比較には注意が必要だ。東京は、JRと多数の私鉄が縦横に走り、その多くが東京メトロや都営地下鉄と相互直通運転を行っている。郊外から都心を抜け、会社の垣根を越えて別路線へ乗り換えなしで滑り込む――この目に見えないネットワークこそ、東京の底力である。「世界一」の看板は、何を物差しにするかで容易に架け替わる。
もっとも、空港アクセスに限れば、軍配は上海に上がりそうだ。2024年12月に開業した市域空港線は、全長約59キロを最高時速160キロで走り、虹橋・浦東という二つの国際空港を約40分で結ぶ。東京にも羽田・成田を結ぶ列車はあるが、両空港を高速で直結するために整備された専用性の高い路線ではない。
中国では北京や成都のように、複数の大規模空港を抱える都市圏が続々と現れている。上海もまた、行政区分を超えた「多空港体系」の構築を見据える。空港を単体の施設としてではなく、空港「群」を都市圏インフラとして束ねる発想が、いよいよ主流になりつつある。
1964年の東京は「都心と空港」を15分で結んだ。60年を隔てて、上海は「空港と空港」を40分で結んだ。都市交通の勝負どころは、もはや地下鉄が何キロ延びたかではない。都市圏全体を、どこまで一続きの移動空間として設計しきれるか――そこに軸足が移っている。(耕雲)
2026年9月18日
即席食品に見るイノベーション
「20世紀を代表する発明」の一つともいえるインスタントラーメン。その象徴である「カップヌードル」は、1971年9月18日の発売から、本日で55年を迎えた。発売時の価格は1食100円。当時の袋麺が25円だったことを考えれば、実に4倍という強気の価格設定である。
ただし、発売当初から順風満帆だったわけではない。容器に入ったまま、立って食べるというスタイルは、当時の日本ではまだ異質だった。日清食品は、夜勤の多い消防署や警察署など新たな販路を開拓し、商品だけでなく「食べ方」そのものを社会に提案していった。
転機は翌1972年のあさま山荘事件である。山荘を包囲する機動隊員が、寒さのなかカップヌードルを食べる姿がテレビ中継で繰り返し映し出され、商品は一気に全国へ知られるようになったとされる。この逸話は、NHK連続テレビ小説「まんぷく」では描かれなかった余話だ。だが、「商品が社会に受け入れられていく過程」として読み解くと、カップヌードルの発明・発展史はまた違った奥行きを帯びて見えてくる。
55周年の今年7月、日清食品はブランド初の「冷しカップヌードル」を発売した。5年かけて開発した特許技術「コールドリハイド製法」により、冷水を注いで5分待てば食べられる。「お湯を注ぐ」というカップ麺の常識から、ついに「お湯」そのものを取り除いたわけである。
ちなみに日清食品は1989年、水を瞬間的に沸騰させて調理する自己加熱式食品「スーパーボイル」をテスト販売したことがある。画期的な技術だったが、500円という価格や容器の重さ、やけどの危険性などがネックとなり、1992年に販売を終了した。いまも、加熱式駅弁や発熱剤付きの防災・アウトドア食品を除けば、自己加熱式インスタント食品は日本ではさほど一般化していない印象がある。
かたや中国では、加熱剤を同梱した「自熱火鍋」製品を海底撈(ハイディーラオ)などが売り出し、スーパーやコンビニ、ECサイトでも一つの商品カテゴリーを形成している。お湯で作るという前提条件を「引く」のか、加熱できる道具を「足す」のか――技術をどちらの方向に振るかには、お国柄や生活動線の違いも映し出されているようで興味深い。
55年前、「熱湯を注ぐだけ」という引き算が食の常識を変えた。そして今、「熱湯すらいらない」という、さらなる引き算が始まっている。カップヌードルの歴史とは、「何を足し、何を引くか」を問い続けるイノベーションの歴史でもある。今後、日中の即席食品史では、どんな“非常識”が当たり前のように啜られていくのだろうか。(耕雲)
2026年9月19日
苗字と顔文字、「名乗り方」を考える
9月19日には、ちょっとした因縁がある。
1870年のこの日、日本では太政官布告によって平民に苗字の使用が許された。それから112年後の1982年、大西洋の向こうでは、カーネギーメロン大学の掲示板に打ち込まれた三つの記号――「:-)」――が、文字だけの世界に初めて「これは冗談ですよ」という表情を与えた。
苗字は「私は誰か」を告げ、顔文字は「私はいま、どんな顔をしているか」を告げる。役割は違えど、どちらも極小の情報で自分を相手に手渡す装置だ。人類はこの日、二度にわたって「名乗り方」を発明したことになる。
考えてみれば、名前そのものが常に変化を続けてきた記号である。
作家は本名の陰にもう一つの名を持った。周樹人は「魯迅」と署名し、夏目金之助は「漱石」の名で世に出た。芸能界に目を移せば、「藤岡弘、」の読点や「モーニング娘。」の句点のように、句読点までもが固有名詞の一部に昇格する。文字の後ろにたった一つ「、」や「。」を添えるだけで、世界に一つしかない名前ができあがる。これは1982年に「:」「-」「)」の三文字を横に並べただけで、それまで存在しなかった表情が誕生したのと、驚くほど似た仕組みだ。
インターネットの時代に入ると、そこにハンドルネーム、アカウント名、アイコン、絵文字が加わった。私たちはもはや一つの本名だけでなく、場面ごとに複数の「名前」を使い分けながら生きている。SNSのプロフィールを三つ持つ人がいたとして、それは三つの人格を演じているのではない。三つの「最小限の自己紹介」を、使い分けているだけのことだ。
会社もまったく同じ論理で動いている。社名、商品名、ブランド名、ロゴ、肩書――そのすべてが、相手に自分を認識してもらうための記号にすぎない。だから名前とは、単なるラベルではない。その名前を目にした瞬間、相手の頭に何が浮かぶか。そこまで設計されて初めて、名前は「名前」として機能しはじめる。優れたブランドとは、要するに優れた自己紹介文なのである。
苗字が社会の中で個人を識別する仕組みへと育ち、顔文字が文字の中に表情を取り戻したように、人間はいつの時代も、限られた記号の中に自分を詰め込む工夫を続けてきた。
名前とは、おそらく人間が持つ最も短い自己紹介である。そして記号とは、言葉にしきれないものを補う、最小のメディアなのだ。
9月19日。「あなたは誰ですか」と「いま、どんな気持ちですか」が、歴史の中でぴたりと同じ日に重なっている。この偶然に、思わず頬がゆるむ。 :-)
参考:国立公文書館デジタルアーカイブ/Carnegie Mellon University
2026年9月20日
「空の日」——看板は変わる、構造は居座る
9月20日は「空の日」。1992年からこの柔らかな名称をまとい、爽やかな秋空の下で航空イベントが催される日として親しまれているが、その前身は1940年に制定された「航空日」である。第1回は同年9月28日に開かれ、翌1941年から9月20日に定着した。
では、「航空日」が制定された1940年とは、どのような年だったのか。第1回航空日の前日にあたる9月27日には日独伊三国同盟が成立し、10月12日には大政翼賛会が発足して既成政党はすべてこれに合流した。経済もまた、戦争遂行のための国家統制として設計が固められた年だったといってよい。
経済学者・野口悠紀雄氏は著書『1940年体制』で、銀行中心の資金配分、終身雇用、系列取引といった戦時経済の骨格が、敗戦という最大の断絶をまたいでも途切れることなかったと説く。目的だけを「戦争遂行」から「経済成長」へと静かに付け替え、高度成長のエンジンとして居座り続けたというのだ。
1940年体制が教えるのは、緊急避難のために組まれた制度ほど、危機が去った後も看板だけを掛け替えて生き延びやすいという逆説かもしれない。戦意高揚の一環として登場したとされる「航空日」も、連合国の占領政策により航空産業そのものが禁じられると、1945年から1952年まで中止に追い込まれた。それが1953年、民間航空産業再興の象徴として復活し、1992年に現在の名称へと改められて今日に至る。
ただ、平和を彩る行事として「空の日」を見つめるまなざしが、決して「当たり前」のものではないと思わされる出来事が続いている。武器輸出三原則の事実上の撤廃、防衛増税、比例代表の定数を176から131へ削減しようとする法案、緊急事態条項の新設論議、そして憲法改正に向けた一連の動き——。
これらの仕組みは、いまはまだ「異例の措置」として語られる向きがある。だが法制度として一度定着してしまえば、なぜそう決まったのかという経緯を欠いたまま、次の世代には「もとからそうだった」制度として引き継がれかねない危うさをはらんでいる。
2026年に危機対応として生まれた仕組みが、検証も選択もされないまま、いつの間にか「当たり前」として居座ってしまう——1940年と同じ構造が、86年の時を超えて再現されようとしているのではないか。そんなのは絵空事だと笑う人もいるだろう。だが、「空の日」がそもそも平和な空を寿ぐために生まれた記念日ではなかったことを思い出せば、あながち杞憂とは言い切れない。(耕雲)
あとがき
一週間を通じて浮かんだのは、便利さも標準も制度も、完成形ではないということでした。道具は見えなくなり、画面は向きを変え、都市交通は物差しを替え、名前は新しい記号をまといます。変化の速さだけでなく、変わらず残る構造にも目を向けること。それが今週の七篇をつなぐ読み筋です。
関連リンク
使用情報源
- 日中BizNavi noteマガジン(対象期間:2026年9月14日〜2026年9月20日)
- ニュースレター|日中BizNavi
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