週刊・編集者コラム|2026/09/28〜10/04の表紙
公開日:2026/10/05 / カテゴリー:編集ノート

週刊・編集者コラム|2026/09/28〜10/04

リード

犬、招き猫、翻訳、コーヒー、豆腐、山、そして人工。今週の編集者コラムは、身近な題材から日中の歴史、文化、市場、技術へ視線を広げました。日々のニュースの手前にある小さな違和感をたどると、一週間の変化が別の輪郭を持って見えてきます。配信時の本文を省略せず、日付順に再録します。

今週の編集者コラム一覧

日付配信タイトル編集者コラムの主題
9月28日「土狗」から「人類の友」へ――映画と狂犬病から考える映画、在来犬、狂犬病から考える共生
9月29日招き猫はいても、パンダは来ない――「国交正常化」から54年国交正常化54年と、日中関係の現在地
9月30日「ほんやくコンニャク」を外国語にしてみたらAI翻訳と、言葉に残る文化の壁
10月1日缶コーヒーの国、茶咖の国—コーヒーは「茶の国」で化けるコーヒーのローカライズと消費文化
10月2日「唐符」から「Tofu」へ―豆腐は「軟弱」ではない豆腐の柔らかさに見る、静かな強さ
10月3日山のある安心、山から来る危険――「登山の日」に考える境界線山が示す安心と危険の境界
10月4日「人工」と告げると、人間が出てくる日中でずれる「人工」と、人の役割

各日の編集者コラム

2026年9月28日

「土狗」から「人類の友」へ――映画と狂犬病から考える

犬は太古より、人類にとってかけがえのない友であり続けてきた。その絆を描いた物語は、世界中に数えきれないほどある。日本で最もよく知られるのは、渋谷駅で亡き主人を約10年間待ち続けた秋田犬「忠犬ハチ公」だろう。その物語は1987年に日本で映画化され、2009年にはハリウッドでもリメイクされて、今も世界中で愛されている。2023年には中国でも『忠犬八公』としてリメイクされた。徐昂監督のもと、馮小剛(フォン・シャオガン)が主演を務め、舞台を重慶に移して、犬も秋田犬から中華田園犬に置き換えられた。

一方、犬を主人公にした中国発の作品としては、彭見明の小説を映画化した『山の郵便配達』(原題『那山那人那狗』)がある。父から息子へと引き継がれる郵便配達の山道を、「老二」という一頭の犬(原作では中華田園犬)が三日間、黙々と付き添う物語だ。中国国内では興行的に振るわなかったが、2001年に日本の岩波ホールで公開されると単館興行記録を更新するヒットとなり、高い評価を得た。

ちなみに「中華田園犬(土狗)」と総称される犬は、単一の公認犬種名というより、中国各地で長く人と暮らしてきた在来犬を広く指す呼称と考えたほうがよい。地域によっては「烈性犬(危険犬種)」として都市部での飼育が禁じられ、飼い主に見捨てられる例も少なくなかったが、深圳では2019年、合肥では2020年に禁止リストから除外され、2025年には広州でも危険犬種の名録から正式に除外された。数千年にわたり中国の農村で暮らしを共にしてきたこの犬たちが、ようやく本来の評価を取り戻しつつあるのだ。

だが、犬との共生には見過ごせないリスクもある――狂犬病だ。中国では2007年に3300例が報告された後、長期的な減少が続いた。しかし2024年は167例となり、2025年の年間統計は240件台。さらに中国国家疾病予防控制局が公表した2026年1~8月の月次統計を合算すると、報告数は215例に達する。依然として過去のピークを大幅に下回る水準とはいえ、足元の動きには注意が必要だ。

犬は今も昔も、人類の最良の友であり続ける。だからこそ、その絆を守るには、犬への適切なワクチン接種と、人が咬まれた際の迅速な対応という科学的な一線を怠ってはならない。本日9月28日は、第20回「世界狂犬病デー」。2026年の世界テーマは「Stronger Together」、中国では「同心聚力,共抗狂犬病(心を一つに力を合わせ、共に狂犬病と闘おう)」が掲げられている。人と犬の絆を祝うと同時に、その絆を守る責任を考える一日でもある。(耕雲)

主な参照先
文化庁「国指定文化財等データベース・秋田犬」 文化庁資料
国家疾病予防控制局「2026年世界狂犬病日宣伝活動に関する通知」(2026年9月14日) 国家疾控局資料
WHO「Rabies」(2026年9月17日更新) WHO資料



2026年9月29日

招き猫はいても、パンダは来ない――「国交正常化」から54年

今日9月29日は、「来る福(くるふく)」の招き猫、「ク(9)リーニング(29)」、「くっ(9)つ(2)く(9)」の接着と、語呂合わせから生まれた小さな記念日が賑やかに並ぶ。これとは別に、記念日というより歴史の日付と呼ぶべき重要な日付ががある。1972年のこの日、田中角栄首相が訪中して共同声明に調印し、日本と中国の国交が正常化したのだ。

その国交正常化から約1か月後の10月28日、中国から贈られたカンカンとランランが日本に到着する。そのパンダが与えた経済的な重みは小さくない。パンダ公開の初日は5 万 6000 人が詰めかけ、入場できたのは 1 万 8000 人だけだったとの記録もある。中国は1980年代から海外へのパンダ提供を貸与方式へ移行し、現在は保全・共同研究を目的とし、一般にはペアで10年程度、年間100万ドル前後(約1億5,730万〜1億5,770万円)の費用がかかる。それでもパンダによる来場客の吸引効果は大きく、 関西大学宮本勝浩名誉教授によると、「白浜のアドベンチャーワールドにパンダが来日した1994年9月から約31年間の経済効果は、約1,256億5,741万円となった」とする発表もある(関西大学プレスリリースより)。中国語でパンダは「熊猫(ションマオ)」、台湾では「猫熊(マオション)」というように「猫」の文字がつくが、まさしくジャイアントパンダは「財を招く」招き猫(中国語で「招財猫(ジャオツァイマオ)だったわけだ。

今年1月27日、上野の双子シャオシャオとレイレイが中国へ返還されることとなり、日本国内で飼育されるジャイアントパンダは1972年の初来日以来初めてゼロとなった。返還は東京都と中国側の協定に基づいたものだが、2016年頃は上野動物園、和歌山県・アドベンチャーワールド、神戸市立王子動物園で合計13頭飼育されていた。「パンダ・ロス」による経済効果の喪失規模がどうなるかは予断が許されないが、少なくとも中国のパンダ貸与先は現在16か国に及ぶというから日本の取り残され感は大きい。

こうした中、9月27日、米アトランタ動物園にジャイアントパンダPing PingとFu Shuangの2頭が到着した。中国側との新たな共同研究協定に基づく10年間の貸与によるものだ。パンダが単なる人気動物にとどまらず、国家間交流の象徴として受け止められてきたことを、あらためて印象づける出来事である。

中国には「吃水不忘挖井人(水を飲むとき井戸を掘った人を忘れない)」という言い回しがある。まさしく「井戸を掘った世代」によって半世紀以上にわたる日中交流の象徴となってきたパンダ。当たり前に存在していたものが消えたとき、その意味をあらためて考えさせられる。上野の「パンダのもり」は、主役が不在となった現在も残り、「人寄せパンダ」という言葉どおり関連イベントも続いているという。54年目の秋、「招く」だけでは福も財もやって来ないことを思い知らされる。(耕雲)

【出典】

  1. 外務省「日中共同声明」
  1. nippon.com「1972(昭和47)年 中国からパンダのカンカンとランランが来日」
  1. 関西大学プレスリリース(宮本勝浩名誉教授の経済効果試算)
  1. 東京ズーネット(上野動物園の双子パンダ返還関連情報)
  1. Zoo Atlanta「The Giant Pandas Have Landed!」
  1. 東京都報道発表(上野動物園関連)

【URL】

  1. https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1973/s48-shiryou-3-11.htm
  1. https://www.nippon.com/ja/japan-topics/today10280/
  1. https://www.kansai-u.ac.jp/ja/about/pr/media/2022/01/post_67257.html
  1. https://www.tokyo-zoo.net/
  1. https://zooatlanta.org/pandas-have-landed/
  1. https://www.metro.tokyo.lg.jp/


2026年9月30日

「ほんやくコンニャク」を外国語にしてみたら

9月30日は「国際翻訳デー」である。聖書をラテン語に訳した聖ヒエロニムスの記念日にちなみ、2017年に国連総会が国際デーと定めた。言葉と文化の橋渡しを担う人々に光を当てる日だ。

翻訳と聞いて思い浮かぶ便利な道具がある。ドラえもんの「ほんやくコンニャク」だ。食べれば相手の言葉が分かり、こちらの言葉も通じる。もちろん空想の産物だが、この道具の名前そのものを外国語にしたらどうなるか。試してみると、これがなかなか一筋縄ではいかない。

中国大陸では「翻译魔芋」、台湾では「翻譯蒟蒻」、香港では「翻譯糕」などと呼ばれる。同じ「こんにゃく」でも、大陸は「魔芋」、台湾は「蒟蒻」。道具の名前ひとつに、土地ごとの言葉の表情が表れる。

英語ではどうか。「Translation Konjac」と直訳される例もあるが、英語版アニメでは「Translation Gummy(翻訳グミ)」とされているという。中国南西部の四川、雲南、貴州などでは、魔芋は古くから食べられてきた。近年はスナック食品も人気だ。一方、西洋のkonjacは健康食品や麺の材料という印象が強く、食卓に親しまれた食材とは言いにくい。「食べると言葉が分かる」不思議な道具には、子どもになじみのあるグミのほうがふさわしい、という判断があったのかもしれない。

ドラえもん本人の呼び名にも、翻訳の妙がある。かつて中華圏では、「機器猫(ジーチーマオ)」「小叮噹(シャオディンダン)」といった意味を伝える名前で親しまれた。のちに日本語の響きを残した「哆啦A梦(ドゥオラー・エー・モン)」が広まった。意味を運ぶか、音を尊重するか。名前ひとつにも唯一の正解はない。

そして2026年の今、AIの目覚ましい進歩で、ほんやくコンニャクの世界は夢物語ではなくなりつつある。リアルタイム音声翻訳、カメラをかざせば文字を訳す画像翻訳、翻訳イヤホン。「話す」「聞く」「読む」に限れば、AI翻訳はあの道具にかなり近づいた。旅先で言葉に困る場面は、確実に減っている。

では、翻訳者は不要になるのかといえば、そう単純ではなさそうだ。誰が、誰に、どんな状況で発した言葉なのか。同じ単語でも、文脈や世代、地域によって意味も響きも変わる。先に見た「魔芋」と「蒟蒻」の使い分けも、「コンニャク」と「グミ」の選択も、単語の置き換えだけでは説明がつかない。読み手の暮らしを思い描き、最もふさわしい表現を選ぶ判断が要るのだ。

言葉の壁をなくすことだけが翻訳ではない。異なる世界の間に立ち、「何を、どう伝えれば届くのか」を考えること。ほんやくコンニャクが現実に近づく時代だからこそ、その営みの価値はいっそう際立ってくる。今日は、身の回りの「訳された言葉」に、少し思いを馳せてみたい。(耕雲)

参考資料

国際翻訳家連盟(FIT)「International Translation Day 2026」
URL:https://en.fit-ift.org/international-translation-day-2026/

国際連合「International Translation Day」
URL:https://www.un.org/en/node/100082

国際連合「General Assembly Adopts Texts on Professional Translation…」
公開日:2017年5月24日
URL:https://press.un.org/en/2017/ga11914.doc.htm

最高人民検察院/検察日報「撰写法律文书亦可遵循“信、达、雅”标准」
公開日:2020年6月9日
URL:https://www.spp.gov.cn/spp/llyj/202006/t20200609_464798.shtml



2026年10月1日

缶コーヒーの国、茶咖の国—コーヒーは「茶の国」で化ける

10月1日は国際コーヒーデー。国際コーヒー機関(ICO)が2015年から祝ってきたこの日が、今年3月10日の国連総会決議で、正式に国連の記念日となった。日本では全日本コーヒー協会が1983年から「コーヒーの日」と定めており、先見の明を誇りたいところだが、国際記念日の直接の起源と言い切るのは控えたい。10月1日は国際協定上の「コーヒー年度」の初日で、もともと業界の節目にあたる日だったからだ。

日本は年間約40万トン(2025年は約39.7万トン、生豆換算)を消費する世界4位の大消費国である。ところが国産はほぼ皆無で、沖縄などで年に数トン採れる程度、消費量からすれば誤差にすぎない。それでも日本は、歩きながら飲める缶コーヒーを生み、アイスコーヒーで暑さをしのぎ、純喫茶に長居する流儀を育てた。慌ただしさと安らぎを一つの空間に同居させる工夫は、日本ならではだろう。

一方の中国では茶の本家であり、飲み物といえばまず茶だった。1990年代、タクシーに乗るとネスカフェの空き瓶に茶葉を入れ、マグボトル代わりにする運転手をよく見かけた。1999年に北京で1号店を開いたスターバックスでも、しばらくはコーヒー以外の飲料やスイーツが好まれたと伝えられる。

だが、それも今は昔。今年4月末に開幕した「上海国際コーヒー文化節」では『2026中国城市コーヒー発展報告』が発表され、2025年の産業規模は3,549億元(前年比13.3%増)、上海のコーヒー店は1万336軒と「万店」の大台に乗った。一人当たりの年間消費量は22.2杯から28.6杯へ、約3割増えたという。もっとも、世界の成熟市場では年200〜400杯規模とされるから、伸びしろは途方もない。総量では、2025年に40万トンを超えたと推計する業界報告があり、日本の背中が見えてきた。

ラッキンコーヒー(瑞幸)の世界の店舗数は6月末で3万6,000店を超え、シンガポールでは9月に100店目を開いた。喫茶文化を教わった側が、いつの間にか教える側に回りつつある。茶とコーヒーを掛け合わせた「茶珈(ティーカフェ)」も、近年すっかり新式飲料の一ジャンルに育った。これも中国の手腕といえるだろう。

考えてみれば、日本も中国も、茶の国がコーヒーを自分の暮らしに合わせて作り替えたという点で、同じ物語の登場人物である。日本は缶やアイスコーヒー、そして喫茶店に、中国はアプリ活用、茶との融合に行き着いた。到着駅は違えど、出発駅は同じ「茶の国」なのだ。

今日の一杯は、そんな二つの茶の国が磨いたコーヒー文化に思いを巡らせながら味わってみてはどうか。店のサービスはもとより、産地や作り手を少し気にして選ぶと、感慨もひとしおだろう。さすがに沖縄産の豆に出会うのは難しそうだが、雲南産に巡り合えれば記念日としては上出来である。(耕雲)

参考:国連「International Coffee Day」 / 全日本コーヒー協会 / 上海市政府「Shanghai tops over 10,000 coffee shops」



2026年10月2日

「唐符」から「Tofu」へ―豆腐は「軟弱」ではない

きょう10月2日は「豆腐の日」である。「とう(10)ふ(2)」の語呂合わせから、1993年に日本豆腐協会などによって制定された。

豆腐の起源は中国とされる。前漢の淮南王・劉安の考案という伝承は名高いものの、裏づける確かな史料はない。日本での文献初出は、1183年に奈良・春日大社の神主が記した日記の「唐符」とされる。「唐」の一字が、いかにも大陸渡来の品であることを物語る。

当初は寺院の精進料理を支える貴重なたんぱく源だった豆腐は、江戸時代に庶民の味となり、1782年には豆腐料理ばかり百種を集めた『豆腐百珍』が刊行されて評判を取った。一丁の豆腐で百通りの顔を見せたのだから、地味な食材とは思えない芸達者ぶりである。

いまや豆腐は、中国語のピンイン「Doufu」ではなく「Tofu」と綴られ、和食を代表する食材として世界で親しまれている。ところが、これほど愛されながら、言葉の世界での待遇は甚だ冷たい。

「豆知識」「豆電球」の「豆」は「小さい」の意で、おせちの黒豆には「まめに暮らせるように」との願いが託される。豆はおおむね好意的に語られる。それが「豆腐」となった途端、傷つきやすい心は「豆腐メンタル」、悪態は「豆腐の角に頭をぶつけて死ね」である。実に気の毒な話で、頭をぶつけられる側の豆腐のほうが、よほど無傷で済みそうではないか。

中国語も事情は同じだ。「紅豆」は恋しさを、「種豆得豆」は努力が報われることを表すのに、豆腐は手抜き工事を指す「豆腐渣工程」など、頼りなさの喩えに回される。豆の一族のなかで、豆腐だけが貧乏くじを引いている。

だが、「腐」は腐敗の意ではない。ものが固まって柔らかくなった状態を指す字である。濡れ衣を着せたのは、字面にすぎない。

そもそも豆腐の「弱さ」は、手間の結晶である。実のぎっしり詰まった大豆が、水に浸され、すりつぶされ、煮られ、搾られ、にがりで固められ、型に押される。これだけ鍛えられて、なお角が立たない。むしろ達人の域である。

人も似たようなものだ。人前では穏やかな顔をつくり、日々の気遣いを引き受け、角を柔らかな表面の下にしまっている。強い圧力がかかれば、まず表面が揺れ、「自分も豆腐メンタルか」と苦笑する。だが、その揺れを幾度もくぐった者には、経験で練られた芯がある。

奇しくも10月2日は、国連が2007年に定めた「国際非暴力デー」、ガンジーの誕生日でもある。豆腐と非暴力に歴史的な関係はない。ただ、穏やかさを退却ではなく「静かに立ち続ける強さ」と見るなら、この偶然の同居には、思わず頷きたくなる妙味がある。

力で押す者は、押し返されれば折れる。柔らかく受ける者は、揺れても崩れない。冷奴の一丁を前に、そんな哲学のひとつも傾けてみたくなる。

きょうの夕食には、豆腐を一丁添えてみてはどうか。箸で触れれば白い角がふるりと揺れる。その奥に、豆の底力が静かに控えている。(耕雲)



2026年10月3日

山のある安心、山から来る危険――「登山の日」に考える境界線

きょう10月3日は「登山の日」である。日本山岳ガイド協会の前身団体が1991年、10月3日に「登山の日」として集会を開いたことに始まり、今年も東京・奥多摩の御岳山で安全登山の実技講座が開催される。

筆者は周囲を山に囲まれた土地で育った。そのため若いころは、むしろ山のない平地に憧れた。北海道のサロベツ原野のように、視界を遮るものがなく地平線まで続く大地に、妙な開放感を覚えたものである。

ところが齢を重ねると、感覚は逆転した。上海のような平坦な街で暮らしていると、遠くに焦点を定める山がないことが、どうにも落ち着かない。太陽や星を見て方角を判断する術に長けているわけでもないから、山は知らず知らずのうちに巨大な「方位磁針」になっていたのだろう。

8月11日配信の本ニュースレターでは「上海から考える『山』の境界線」と題し、標高100メートル前後の佘山や、高さ48メートルの人工の双子山などから「どこからが山なのか」を考えた。

今回は逆に、「山がそこにあることで、人は何を感じ取っているのか」を考えてみたい。

山は単なる景観ではない。峰の位置から方角を知り、谷を見れば水の流れを想像する。そこで長く暮らせば、「あの山の向こうが隣町」「この沢は大雨になると危ない」といった情報も地形と一緒に頭へ入ってくる。「土地勘」とは、道路や建物だけでなく、こうした土地の形を読む感覚も含むのだろう。

ただし、山が安心感を与えるとは限らない。谷あいを見れば土砂崩れを心配する人もいる。川沿いなら増水、急斜面なら崩落を意識する。どの地形を「落ち着く」と感じ、どの地形に危険を感じるかは、育った環境や経験によって違う。

そして近年、山を見る際に無視できなくなったもう一つのリスクが熊である。

環境省は2026年7月、クマが市街地など人の生活圏へ出没する事例や人身被害が相次いでいるとして「市街地クマ出没対策チーム」、通称「アーバンベア対策チーム」を設置した。秋には餌の状況によって人の生活圏への出没が増える傾向があるとして、登山やハイキングの際にも出没情報の確認などを呼び掛けている。

もはや「熊出没」は山奥だけの話ではない。人口減少で里山の管理が難しくなり、人と野生動物の境界そのものが揺らいでいることも政府は課題として認識している。

スマートフォンを開けば、現在地も方角もすぐ分かる。それでも、自分の暮らす土地の山がどこにあり、水がどこへ流れ、どこから先が野生動物の領域なのかを知っておく意味は薄れていない。

10月3日の「登山の日」。山に登るだけでなく、山と人間の暮らしとの「境界線」を改めて読む日としてもよさそうである。(耕雲)



2026年10月4日

「人工」と告げると、人間が出てくる

中国のアプリで問合わせに進むと、「转人工(ジュアン・レンゴン)」という表示が現れる。日本人には一瞬、意味がつかめない。「人工」といえば、人工知能や人工芝のように「人が作った、自然ではないもの」を思い浮かべるからだ。ところが、これは「人間の対応に切り替える」という意味で、自動応答やAIをやめて生身のオペレーターにつないでほしいときに使う。

食い違いの原因は、中国語の「人工」が「人の手による、人力による」という意味を強く残している点にある。日本語にも、一人が一日働く作業量を数える「人工(にんく)」があり、「人工がかかる」といえば手間がかかることを指す。「转人工」は、この感覚に近い。

一方、日本語の「人工」に、中国語が「人造(レンザオ)」を当てる例もある。人工衛星は「人造卫星」、人工肉は「人造肉」だ。中国科学院国家天文台の長春人造衛星観測站の沿革にも、ソ連が1957年に「第一颗人造地球卫星」を打ち上げたと記されている。

とはいえ、「日本語は人工、中国語は人造」と割り切れるわけではない。AIは両国語とも「人工智能」で、人工芝にも中国語で「人工草坪」がある。大づかみにいえば、「人造」は作り出された成り立ちに、「人工」は自然に対する人為や人手に重心があるものの、実際は対象ごとの慣用で決まる。ここが学習者を悩ませる。

そして、「人工」が人間を指す用法は、AI時代にむしろ存在感を増している。2026年5月に公布され、9月1日に施行された推奨国家標準「顾客联络服务 人工与智能客户服务协同要求」(GB/T 47746-2026)は、名称に「人工」と「智能」を並べ、人間とAIによる応対を対の概念として扱う。機械から人間への引き継ぎが、現場で設計すべき課題になったことの表れだろう。

「人造」という言葉を日本語の中に探してみると、昭和世代なら特撮作品を思い浮かべる人もいるだろう。「改造人間」の仮面ライダー、1972年の『人造人間キカイダー』、翌1973年の『新造人間キャシャーン』。わずか二文字の違いを使い分けながら、それぞれに超人的な世界観を描き出していた。

それから半世紀。電話やチャットの向こうにいるのが人かAIか、すぐには分からない時代になった。だから、中国で覚えておくと役立つ一言がある。「转人工」。AI全盛の時代に「人工」と告げると、人間が出てくる。同じ漢字を共有しながら印象が逆転するところに、漢字文化圏の面白さがある。

きょう10月4日は、1957年にスプートニク1号が打ち上げられた日であり、動物の守護聖人の祝日にちなむ「世界動物の日」でもある。

編集部参考資料
中国の推奨国家標準「GB/T 47746-2026」は2026年5月25日公布、9月1日施行。中国科学院国家天文台の資料でも、1957年10月4日のソ連による世界初の人工地球衛星打ち上げが確認できます。
情報ソース:全国標準信息公共服務平台/中国科学院国家天文台|確認日:2026年10月4日|URL:GB/T 47746-2026/長春人造衛星観測站資料



あとがき

七つのコラムを通して浮かぶのは、境界は線ではなく、行き来の中で姿を変えるということです。在来犬は映画を越え、コーヒーと豆腐は国境を越え、翻訳とAIは言葉の役割を問い直しました。ニュースの速度から少し離れ、身近な言葉と品物を手がかりに一週間を読み返すと、変化の底に残る人の感覚が見えてきます。

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