◉埋もれた異色作、『東瀛遊俠』
中華アクション映画やドラマに登場する日本人キャラクターは、冷酷なヒール役に据えられる印象が強い。ブルース・リーの『ドラゴン怒りの鉄拳』やドニー・イェンの『イップ・マン』シリーズを紐解くまでもなく、日本人は多くの場合、正義の象徴たる中国人武術家と対峙する"引き立て役"として機能してきたといってよい。
しかし、1992年公開の中国映画『東瀛遊俠』(別名『武林聖鬥士』)は、その常識を覆す異色作である。京劇出身の名優、于栄光(ユー・ロングァン)が空手家の武士を演じ、善良なヒーロー像を体現した。「日本人が正義の実践者になる」という新鮮な感覚を、当時の観客にもたらしたのである。同作は日本での劇場公開には至らなかったが、主人公のセリフの多くに日本語の吹き替えが用いられており、日本の観客も意識した演出と受け取れる。

映画『東瀛遊俠』の迫力あるアクションシーン
◉「東瀛」という言葉:忘れられた傑作の背景
『東瀛遊俠』は、『少林寺』(1982年公開)を手掛けた張鑫炎(チャン・シン・イエン)監督による作品で、于栄光に加え、ヒロイン楊麗菁(シンシア・カーン)のアクションも脚光を浴びた。1992年に香港で劇場公開された当時は興行が振るわなかったとされるが、その後、中国中央テレビ(CCTV)で繰り返し再放送されたこともあり、シニア層の中国人にとって馴染み深い作品となっている。
物語の舞台は明朝嘉靖年間(1522年~1566年)とされるから、戦国時代に相当する。武士・上地完雄は西洋人との決闘に敗れて絶望するが、中国人僧侶の説得を受け、自決を思いとどまり、中国拳法を学ぶため渡中を志す。ところが乗り込んだ船が倭寇のもので、陰謀に巻き込まれる。漂着先の福建省で悪党の暴虐を食い止めるべく奮闘するーーこれが大筋だ。「東瀛(とうえい)」は扶桑と同じく、日本を指す雅称である。
◉武術と文化交流:デフォルメと史実の狭間
日本人の視点から見ると、同作の日本文化描写には思わず苦笑を誘う演出も少なくない。たとえば、倭寇が高下駄を履いて身長の低さをごまかす描写や、主人公が川魚を生で食べようとする場面などは、当時の中国における日本人像(背が低く、魚(刺身)を生で食べる)をデフォルメしたものだと容易に想像がつく。
また、主人公は架空の人物というわけではなく、実在したモデルがいる。沖縄空手の一派である上地流空手道の開祖、上地完文というのが通説だ。ただし史実では、上地完文が福建省で武術を学んだのは1897年からの約13年間であり、物語の舞台である明朝嘉靖年間(16世紀中頃)とは3世紀以上の開きがある。したがって脚色にしても大胆が過ぎるといえる。
こうした荒っぽい描写が目立つ一方で、同作は日中武術交流や失われた伝統拳法の記録、そして武侠世界の正義と倫理観である「江湖道義」(ジャンフー・ダオイー、日本の「任侠道」に相似する言葉)を描く点がユニークである。舞台には福建の南派少林拳を象徴する南少林寺が登場し、物語は倭寇を成敗した主人公が中国拳法の秘伝書を携えて帰国の途につく場面で幕を閉じる。「空手=唐手」であることを示唆するナレーションは、日中武術の歴史的つながりを意識した演出だ。
◉悪役日本人像の変遷:『精武英雄』と『精武門』
以下では、日本人キャラクターの位置づけの対比という観点から、『東瀛遊俠』以降に公開・放映された代表作を挙げて流れを確認したい。まずは1994年公開、ジェット・リー主演の『精武英雄』である。同作ではラスボス的存在と、主人公を支える存在という対照的な"日本人キャラクター"が並立する。倉田保昭が演じる空手道場の総教頭は、礼節を重んじる武道家として描かれ、主人公の陳真(ジェット・リー)と武術の真髄を語り合い、助言も与える役割を担う。
一方、同じく『ドラゴン怒りの鉄拳』のリメイクとされる『精武門』(1995年放映、ドニー・イェン主演)に登場する日本人キャラクターは悪人ぶりが際立ってくる。さらに時代が下って、2006年のジェット・リー主演『霍元甲』では中村獅童演じる日本人武道家との精神的交流が描かれる一幕があったが、2008年のドニー・イェン『イップ・マン』では冷酷非道な日本人ラスボスとの闘いがハイライトとなる。ジェット・リー作品で武術交流が強調され、ドニー・イェン作品では「冷酷な加害者」像が前景化することが、少なくとも二度繰り返されたことになる。

◉ヌンチャクは日本から中国に伝わった!?
振り返ってみると、ジェット・リー(当時はリー・リェンチェイの名前で浸透)の『少林寺』が一世を風靡してから『東瀛遊俠』に至るまでの期間は、日本の武道家ヒーローを好意的に扱う映像作品が生まれやすい環境にあり、ある種の「日中武術交流」の蓄積が背景にあったという仮説が成り立つ。
実際、楊名時が1960年代に中国の簡化二十四式太極拳を日本に紹介した「中国→日本」の流れとは逆に、「日本→中国」へ伝播した例もある。例えば、沖縄(琉球)由来とされる連接武器・ヌンチャクがその好例である。戦後に琉球古武道として型が体系化され、日本で受容・発展したこの武器は、1970年代にブルース・リーの映画で世界的に可視化された。
リーにヌンチャクを紹介し基本を教えたのはフィリピン系米国人のダン・イノサントとする証言が主流だが、倉田保昭が映画撮影期にリーにヌンチャクを提供したというエピソードも語られている。いずれにせよ、映画を媒介に沖縄で独自に発展した武器・武術が、ブルース・リーの映画を媒介に香港を含む中華圏へ再認識・定着され、武術演出のキーコンテンツとして定着した点は注目に値するだろう。

上段画像:剛柔流空手の華麗な技法 左下:正徳館館長 森田衛氏による師・多田正剛氏への追悼資料 右下:中国で開催された国際剛柔流森田会選手権大会のポスター画像(清水氏提供)
◉交流が紡ぐ昭和版"東瀛遊侠"
また、遼寧省大連市は、極真会館・浜井派の浜井識安氏が本拠地としてきたことで知られている。だが、同市で長年ビジネスに携わり、近代史と日中交流の事情に詳しい清水誠三氏の証言によれば、極真会の開設以前にもすでに沖縄剛柔流空手の道場が立ち上がり、活発に活動していた時期があったという。
道場主は剛柔流森田会師範の森田衛氏で、早くも1970年には香港で警察の現地指導や門下の育成に大きな役割を果たしていたと見られる。その後、中国本土に活動の足がかりをつくり、大連では「剛柔流森田会」の名称で青少年の健全育成に勤しんだ。空手サークルを設けた現地企業に赴いては、練習の指導に当たることもあったようだ。清水氏は、森田氏を利他精神にあふれ、日中交流に身を投じた紳士と評している。(清水氏は「剛柔流森田会」主催の大会で名誉副会長も務めた。)

在大連日系企業の空手道部での練習風景(2009年) 画像:清水氏提供
◉世紀をまたいで紡がれる日中武術交流
こうして見ると、『東瀛遊俠』(武林聖鬥士)は時代考証などに牽強な描写が見られるものの、単なるフィクションの産物ではないことが分かってくる。「上地完雄」というヒーローには、さまざまな人物像が複合しており、世紀をまたいだ日中の武術交流が照射されたものと見るのが妥当といえそうだ。
中華アクション映画における日本人像のステレオタイプを打ち破り、武術を通じた相互理解の可能性を示唆した、『東瀛遊俠』。その特異性と価値は、今こそ再評価されるべきではないか。(文・耕雲)

映画『東瀛遊侠』のエンディングシーンから


