“専・転・伝”は日本人に何を問うのか?上海「高考」作文問題の啓示
“専・転・伝”は何を示す?日本人に響く「高考」作文問題
■ 「専・転・伝」とは?
中国の大学統一入試「高考」で、上海地区において出題された作文問題が話題を呼んでいる。「専・転・伝」という三文字を軸に、文章の生成と伝播に関する哲学的命題が受験生に提示されたのだ。
出題者である華東師範大学の終身教授・胡暁明氏(上海写作学会会長)は、専門的な「専」、それを大衆化する「転」、さらに時代を超えて読み継がれる「伝」という三段階の発展モデルとして提示し、受験生に対して“伝”に至るには“転”が必須かを問う構成となっている。
■ 「守・破・離」と似ている?
筆者の脳裏に浮かんだのは、日本の伝統的な修行哲学「守・破・離」である。芸道や武道の習得において、基本を「守」り、型を「破」り、やがて独自の境地へと「離」れるという段階的成長モデルである。
専門的知見に基づく「専」から出発し、「型を破る」ように通俗化された「転」を経て、普遍性を帯びた「伝」に至るこの構造は、「守・破・離」との類似性を感じさせる。
■ 「専」が抜け落ちた日本漢字
今回の出題は、日本人にとっても一つの問いを投げかけているように思われる。というのも、「専・転・伝」は「せん・てん・でん」と語呂はよいものの、漢字の字形からは3つの関係性を見いだせない。中国語の「专・转・传(專・轉・傳)」と違って「転・伝」には「専」が存在しないからだ。
それだからなのか、「専」に由来する情報がSNSなどで断片的に切り取られて拡散されるうちに意味が「転」じ、場合によってはデマとなって「伝聞」するリスクも高い。「専」が「云」に置き換えられたことで、専門性よりも「声が大きい者」が重視されやすい社会の構図が生まれたと指摘することもできるだろう。

■ 字体“改革”がもたらした副作用
そもそも日本では、旧字体から新字体への移行により、漢字が本来持っていた意味や象徴性が損なわれた例が少なくない。たとえば「氣」という文字が「気」になった。「米(こめ)」の要素が削られ、精神的・身体的エネルギーを含んでいた言葉がどこか軽くなったと感じる人もいるのではないか。
また、「豐」から象形要素の「丰」が除かれ、「曲」を加えた「豊」という字形になったことで、農本的な象形の意味が薄れ、文化的文脈の一部が失われたとの指摘もある。減反政策がもたらした食料自給率低下の問題とも無関係とは言い切れないとの言説がまことしやかに響いてくる。

■ 自戒としての戒名の誤字事件
筆者の私的体験をひとつ紹介させていただくと、昨年に実父が他界した。住職に付けてもらった戒名には「興」の文字が当てられたのだが、父の名は「與志雄」である。どうやら「與」という「与」の旧字体を「興」と取り違えられてしまったようだ。
無論、住職には深い思いと知恵を込めて命名してもらった戒名であり、遺族も得心に至っているのだから、ここで恨み言を述べるつもりはない。ただ、これは(自身も含めて)現代に生きる日本人の旧字体に対する素養の不足が引き起こした誤解ではなかったかと思い返すことがある。

■ 筆談の未来と「伝」の再定義
日中間のコミュニケーションにも思いを馳せたくなる。もととも両国には、漢字を介して意思疎通が可能な「筆談」という文化的共有基盤がある。しかし「内巻」「破防」「YYDS」など、次々に生まれるネット用語を目にして、すぐに意味を理解できる日本人がどれだけいるかというと、中国語学習者やウォッチャーを除くと少数にとどまることだろう。